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のっぷぴ母日記

んがおRと3匹の猫の日常をつづります。 コメントいれたいときは、その日のタイトルをクリックしてください。 滝の情報大歓迎です。
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積もりました 

雪。
じいちゃんの通夜と葬儀のあたりでも降ってはいたんですが、今朝は道路も白くなっていました。
土曜日なので交通量が多くないのがせめてもの救いでして、それでも少し出勤に時間がかかってしまいました。
香典をくれた方や会社にお礼のお菓子などを持って行ったので、荷物が多くて、雪はたいそう困りました。
ま、それも午後にはやんで、明日からしばらく、また少し気温が高くなるようです。
なんか、ホントーに上下の激しい天候です。
ばあちゃん、体調を崩さなければいいけどな、と、心配です。
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滞りなく終了 

葬儀、終了いたしました。
またぞろ、姉と二人でぼろっぼろ泣きまして、しまいに頭が痛くなりました。
あれやこれやの親戚づきあいなどもあり、午前中から午後3時過ぎまでずっとかかりきりでした。
終わってから、会社へのお礼のお菓子などを買い、お斎の折詰で晩御飯を食べてお風呂に入って、今日一日、何をしたわけでもないのに、ものすごく疲労している自分を発見しているところです。
娘の私でさえこんなに疲れているので、83歳の母はさぞ疲れ切っていることと思います。
幸い、姉がそばについていてくれて、世話をやいてくれるので安心です。
こんな時、本当にきょうだいが三人いてよかったと思います。
面倒くさい段取りは跡取り息子の弟がやってくれるし、大事なことの後押しは姉がやってくれるし、そこそこ近い場所に住んでいる私は、日常の些細なことの面倒を見ることができます。
母については、きょうだい三人とそばについている弟の嫁さんと孫たちで見守っていきたいと思っています。
なんか、お坊さんの話では49日過ぎないと空のかなたに行けないらしいけど、さすがに肉体がなくなってしまったので、じいちゃんもウロウロはしていられないと思います。どこも痛くなくなっただろうから、軽やかにどこへでも旅立って欲しいです。
我々もじいちゃんのいない日常に少しずつ慣れないといけないです。
これからまた、新しい日常が始まります。
まず、明日も仕事だわよ。がんばろうっと、師走~。

そうだったのか 

父のお通夜でした。
要所要所でぼろぼろ泣けて、姉と一緒にぐちゃぐちゃになっていました。
さておき。
実家にはまだ墓がなく、菩提寺もないので、葬儀社の紹介のお寺さんにお経を読んでいただいたんですが、このご僧侶がまた代理でして。
まあ、檀家ではない、というのはそういうもんなのかもしれないです。
その代理のご僧侶が通夜ふるまいという、お通夜のあとの軽い会食で私と弟の嫁さんを捕まえて、まあ語る語る。
禅宗の修行の裏話なんかをとくとくとされまして、日本の宗教ってば、とか、仏教ってば、とか。うーむ、80代の無宗教のじいさんの通夜なんだがなぁ。でも、ご僧侶とくれば、葬式のVIPだから、丁寧に対応しないといけないしなぁ。
ということで、ずーっと聞いてました。ま、そうだったのか~という内容ではありましたけどね。
明日は本葬です。

色々あるわ~ 

葬儀の段取りが始まりました。
私は嫁に出た次女なので、ほぼノータッチなんですが、喪主である弟と埼玉から来ている姉が一緒になってあれだこれだと進めてくれています。
私は私で仕事が修羅場の状態で、なんと通夜の当日まで出勤することになってしまいました。おいおい。それって、倫理的にどーなのよ、と思いますが、現実、葬儀ではすることないのでいいのよ。
実の親の葬儀は初めてなので、こんなに大変なんだー、とつくづく思っています。
なにせ、1日じゃ終わらない。
とりあえず、という形で49日までスケジュールが出されました。
そういうことに則って、世の中が回っているのだとしたら、それはそれで乗ってしまったほうが楽なんだろうな、と思います。
とはいえ、私自身の葬儀はどうよ、と思うと、なんにもしなくていいと思うのですが。幸い、我が家には子供はいないので、取り繕う世間がなくなるまで生きていれば、周りのための葬儀はしなくていいよな~とも思っています。
亡くなったじいちゃんは、葬式はしなくていいというのが口癖だったけど、きっと自分にも子供にも面倒くさい思いはさせたくなかったんだろうなぁ。
と、いうことで、明日が通夜で、明後日が本葬です。

終了いたしました 

今日、ワイルドとうちゃんこと、私の実父が亡くなりました。
昨年11月に手術して、余命2か月と言われていたけど、今日までがんばりました。
もうずっと本人も死ぬ気まんまんで、毎日のようにさようならとかありがとうとか笑っておくってくれ、とか言われていたので、覚悟はずっとできていたんですが。
ただ、ここまで長いこと闘病してきたので、危篤になってからも長くかかるものと思っていたら、危篤状態になってから10時間ほどで意識も戻らずに逝ってしまいました。あっけないです。ここまでてこずらせたんだから、もっとてこずらせてくれてもよかったのに、と終わってしまった今、無責任にも思ってしまいます。
なにせ、長くかかると思い込んでいたもんだから、危ないというメールをもらってからも仕事していた私だ。意識は戻らなかったというので、死に目に会うということもないんだけど、大事な時に仕事していたな~、などとぼんやりと後悔しています。
まあ、ばあちゃんはそばにいてやれたので、それだけでよかったかと、納得もしています。
わがまま放題だったじいちゃんの人生は本当にわがままなまま終了しました。
最後は、ずっと痛みを感じ続けていたし、寝たまま動けない状態だったけど、でも、人生の全般を振り返ってみれば、最高に幸せだったんじゃないかと思います。
山の病院でこれから降る雪を心配していたけど、雪が積もる前にその病院を出ることになりました。
8月にじいちゃんのお兄さんも亡くなっているので今年は兄弟で霊山に行ってしまいました。
申年でしたが、本当に去る年となりました。
この一年はまるで幻のような一年でした。
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