のっぷぴ母日記
んがおRと3匹の猫の日常をつづります。
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滝の情報大歓迎です。
なんだか疲れました
今日は午前中からじいちゃんの新しい病院に行ってきました。
なにせ遠いので、小旅行なみの覚悟がいるんですが。いや、遠い遠いと言っても実家のある市内ではあるんですけどね。
しかし、行ってみたらじいちゃんはぐっすりと眠っていて、まったく起きる気配すらありませんでした。
さみしがっているというので、2,3時間は病院にいるつもりでいたのに、まったく起きないので、結局持っていった身の回りのものだけおいて戻ってきました。
病院の看護師さんの話によれば、昨夜、ベッドの柵を乗り越えて冷蔵庫の中のものを取ろうとしたとのこと。今はものを口から摂取すると咳き込んで誤嚥の恐れもあるので食べないで欲しい状態だったらしく、さらに、足の太い血管に直に点滴の管が入れられていて、動くと外れてしまい大変なことになるとのこと。
それを説明されたとは思うんですが、夜中に起き上がって柵まで乗り越えて、しかも錯乱して警察を呼べとか、けっこう大騒ぎになったそうです。
で、興奮が収まるように睡眠薬で安静にしてもらった、という説明でした。
病院が変わると混乱して、錯乱状態になる人がいるそうで、まさにじいちゃんがその状態だったらしいです。
ただし、その興奮がいつ収まっていつ睡眠薬の処方が終了するのか、まったくわからないとのこと。
いや、しかし、それってば、生きているんじゃなくて、眠り続けているだけじゃん。
食べることもできないし、安静のために寝かされ続けているって、生きていることじゃないじゃん。
たしかに、痛みを緩和する措置を講じるために、点滴をしているんだろうけど、なんか、納得できるよない、納得できないような、わけのわからない気分です。
いずれ落ち着いて意識がしっかり持てて、体力も回復したら、どうにか人間らしく昼夜の区別のある食事のできる生活に戻れるんだろうか。
次に行ってもじいちゃん、寝たまんまだろうか。
そして目が覚めた時、今日も誰も来なかったとさみしがるんだろうか。それとも、もはや自分がどれだけ寝ていたのか、どれだけ時刻が過ぎているのかもわからないんだろうか。
いやはや、本当にずっと生きていくことの意味を考えさせられています。
ムズカシイです。
今週ののっぷぴ
これまたひさしぶりのきゃこちゃんです。さっききゃこちゃんはかわいいね~と連発したら、喜んでこの写真と同じ格好になってくれました。
なにせ遠いので、小旅行なみの覚悟がいるんですが。いや、遠い遠いと言っても実家のある市内ではあるんですけどね。
しかし、行ってみたらじいちゃんはぐっすりと眠っていて、まったく起きる気配すらありませんでした。
さみしがっているというので、2,3時間は病院にいるつもりでいたのに、まったく起きないので、結局持っていった身の回りのものだけおいて戻ってきました。
病院の看護師さんの話によれば、昨夜、ベッドの柵を乗り越えて冷蔵庫の中のものを取ろうとしたとのこと。今はものを口から摂取すると咳き込んで誤嚥の恐れもあるので食べないで欲しい状態だったらしく、さらに、足の太い血管に直に点滴の管が入れられていて、動くと外れてしまい大変なことになるとのこと。
それを説明されたとは思うんですが、夜中に起き上がって柵まで乗り越えて、しかも錯乱して警察を呼べとか、けっこう大騒ぎになったそうです。
で、興奮が収まるように睡眠薬で安静にしてもらった、という説明でした。
病院が変わると混乱して、錯乱状態になる人がいるそうで、まさにじいちゃんがその状態だったらしいです。
ただし、その興奮がいつ収まっていつ睡眠薬の処方が終了するのか、まったくわからないとのこと。
いや、しかし、それってば、生きているんじゃなくて、眠り続けているだけじゃん。
食べることもできないし、安静のために寝かされ続けているって、生きていることじゃないじゃん。
たしかに、痛みを緩和する措置を講じるために、点滴をしているんだろうけど、なんか、納得できるよない、納得できないような、わけのわからない気分です。
いずれ落ち着いて意識がしっかり持てて、体力も回復したら、どうにか人間らしく昼夜の区別のある食事のできる生活に戻れるんだろうか。
次に行ってもじいちゃん、寝たまんまだろうか。
そして目が覚めた時、今日も誰も来なかったとさみしがるんだろうか。それとも、もはや自分がどれだけ寝ていたのか、どれだけ時刻が過ぎているのかもわからないんだろうか。
いやはや、本当にずっと生きていくことの意味を考えさせられています。
ムズカシイです。
今週ののっぷぴ
これまたひさしぶりのきゃこちゃんです。さっききゃこちゃんはかわいいね~と連発したら、喜んでこの写真と同じ格好になってくれました。
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