忍者ブログ

のっぷぴ母日記

んがおRと3匹の猫の日常をつづります。 コメントいれたいときは、その日のタイトルをクリックしてください。 滝の情報大歓迎です。
HOME  >  きゃこちゃん闘病記
[1]  [2

きょうでとりあえず 

きゃこちゃんについての記事は、今日でとりあえず終わろうかと思います。
一週間はお水とごはんをあげて、来月末まではまだ家の中で走り回っていると思っていて。
そして、8月には先住猫たちのいる場所に行ってしまうと思います。
で、下の写真が亡くなる前日の高濃度酸素室のきゃこちゃん。
  
さすがに発作のあとなので、ちょっと鼻の下あたりに鼻血が固まったりしているけど、こっち向いてくれていないけど、私が見た感じではとても元気でしっかりと意識もあったのよ。
この数時間後には意識もなくなってしまったんだな、と思うと・・・
面会に行って、このまま介護が長くなるのを決意するくらいの元気さにむしろ安心させてもらって。
本当にいい子です。
家で看取ることができなかったけれど、苦しいまま死なせてしまうよりは、呼吸しやすい場所で、安らかに逝けたと思えるほうが気持ちが楽です。
そして、きゃこちゃんの訃報を受け取った直後に見たお花畑です。
  
いつでも夢に出てきてね。
PR

どうやって乗り越えたかしらね。 

きゃこちゃん、まだそのへんをウロウロしているらしいのですが。
さて、みゆきちゃんが亡くなって、6年ほどたっているので、なんだか愛しいものの死をどうやって乗り越えたか忘れています。
ってか、みゆきちゃんは、そもそも宇宙猫だったので(笑)愛しいという感情の外側にいた子でして、乗り越えるということも、別問題だった気がします。
その前のムチャは、もう、溺愛していた子だったので、完全に記憶を抹消してしまっています。
猫のHPを作っていたのですが、ムチャの死の記述はついにできないままで、それ以降とん挫してしまっています。
向き合わずに、忘れることで先に進んだ気がします。
さてさて、きゃこちゃん。
彼女は本当に癒し系の猫でして。
かわいい娘、というよりは、仲のいい後輩友達みたいな感じでした。
本当は朋子という名前で、とんちゃん、と呼ぶつもりだったのに、自分から「私の名前はきゃらこです」と名乗り、それ以来きゃこちゃんきゃこちゃんと呼んでいました。
子がつくので、こん、とか、こん猫、とかとも呼んでいました。
さらには、でし、とも呼んでいました。
なぜ「でし」というのかと言うと、彼女は「おかさん、きゃこは寒いでし」とか「おとさん、撫でてほしいでし」とか、そんな話し方をするようなキャラクターだったんです。
彼女がいなくなることで、我が家の猫たちの関係も、さらには私と猫たちの関係も微妙に変わることと思います。
ひたすら寂しいのは、今までは誰かが去れば、少したったら新しい命を迎え入れたんですが、もう我々夫婦には20年以上の命を預かる時間が残されていないので、それができないこと。
つまり、我が家の猫たちは、あとは少なくなる一方だということです。
仕方のないことですが、新しい命との出会いが乗り越えるきっかけだったかもしれないと思うと、ちょっとだけ気持ちが重いです。
うむ、きっとロボットのいいやつが出るわよ。
老人に寄り添ってくれるやつがね。
しくしく。

放す、ということ。 

きゃこちゃん。
今までの子たちとは違う施設でお骨にしてもらいました。
病院が今までのところと取引しなくなったそうで。
でも、家から近い所にあったので、今日の午前中にダンナに連れてってもらい、仕事が終わってから私が引き取りに行きました。
この施設の人がお坊さんではないとは思うけど、色々と教えてくれまして。
まず、今までなかったことなんですが、お骨を見せてくださって、ちゃんと喉仏があると取り出して説明してくれました。ホントーに人間と同じようにあるのよ。びっくりしました。
で、猫でも四十九日は魂が世の中に残っていて、家に戻ってお母さんを待ってますよ、とのこと。
半分透明の自分を自覚していて、ものすごく元気になったのに、壁すり抜けるし、誰にも見えてないし、おかしいな、と思っているとか。
なので、飼い主はそのへんにいると思って声をかけたりしてください。
数日はとても暑い火の中にいたので冷たい水、氷をうかべて量も多めにそなえてあげてください。
ごはんも、ニオイがおいしそうなものをあげてください。
今まで健康を思って、欲しがってもあげられなかったものをあげてもいいですよ。ニオイだけわかっているだけなので。
と、まあ、本当にありそうなことをずっと親身になって話してくれました。
猫に四十九日ってば、と思いましたが、そのへんにウロウロしているというのは、なんか嬉しいです。今までの子たちにはやっていなかったけど、冷たい水もあげましたよ。
少なくとも四十九日は私のもとにいなさい、と思います。
それにつけても、発病から1週間で逝ってしまって、あまりにあっけなさすぎます。
金曜の急変の時には、こんな死なせ方してはいけない、と本当にショックでしたが、昨日のあの穏やかな死に顔を見て、天寿を全うしたのだな、と感じています。

ところで、今までの子たちは亡くなったことをかなり長いこと同僚なんかには言わないでいたのです。死んでしまったなんて、気分が暗くなる話題は出さないほうがいいだろう、と思っていたので。
でも、今回は、ちょうど訃報が入ったのが、友人と散策している時だったので、真っ先に聞いてもらい、そして今日も同僚に前から病院に通わないとならないと言っていたので、亡くなったんだよ、と話しました。
人に話せば話すほど、気持ちから楽になりました。
そうか、話すというのは、放す、ということか。
抱え込まずに、悲しみや苦しさを解放すことなのか。
話しを聞いた人は、少しだけこちらの悲しみに寄り添ってくれますが、こちらが思っているほど暗い気持ちにもならないようです。
話す、というのは、大切な行為だな、と実感した昨今であります。

急変2、もしくは、6月なんて大嫌い 

きゃこちゃん。
昨日、介護の決意をしたばかりだというのに、今朝、亡くなりました。
医師からは、血栓を溶かす薬を使うと、高齢の猫は、急性腎不全になる可能性が高いと言われていたので、たぶん、きゃこの年齢的に薬に耐えられなかったのだと思います。
がんばりましたよ。
しかも、飼い主孝行で、飼い主を介護というわずらわしさに悩ますことをしないで逝ってくれました。
さて、問題は、この訃報を受け取ったのが中禅寺湖畔でして。
いや、昨日あんなに元気だったし。
言い訳にすぎないけどさ。
病院で亡くなったのは、初代のチョビ以来で、それだけはさせたくなかったんですが、叶わなかったです。昨日はもうちょっと頑張るわよ、私って言ってくれてたみたいだけどなぁ。
高濃度酸素室だったので、撫でてあげることもできなかったのが心残りです。
今、家に戻ってきているのでさんざん撫でてあげました。
これがまあ、歴代の猫たちの中で一番穏やかな顔なんです。
本当にいい子でした。
しかし、我が家ではきゃこを含めて6匹の猫たちを送っているのですが、そのうちの3匹が6月でして。
も、6月、キライ。
6月、鬼門。
でも、旧友とクリンソウを見に中禅寺湖畔まで行っていたので、メソメソ泣かずに済んだ日曜日になりました。
きゃこの命は、クリンソウとともに思い出すことになりそうです。

思ったよりも 

今日はきゃこちゃんのお見舞いに行って参りました。
もうぐったりして、焦点の合わない目をしていると思っていたので、まず私をみつけて「おかあさん、おかあさん」と叫んでいる顔を見て、心底嬉しくなりました。
目はキラキラしているし、表情もしっかりしているし。
でもやっぱり下肢は動いていないようです。
肺に水が溜まっていたそうで、高濃度酸素室に入れられているので触ることはできなかったのですが、元気そうな顔を見れました。
いや、元気って、元通りの元気ではないけどさ。
まだ血栓を溶かす薬を点滴で少しずつ入れている状態で、これからよくなるかもしれないけど、よくならないだろうなぁ、というのが医師の言葉の節々にニュアンスとしてにじんでいました。
ってことは、下半身まひの猫を介護する生活がまた始まりそうです。
家には連れて帰れそうですが、医師はあまり長くは生きませんと言われました。
いや~。
ぷーちゃんという猫は半身不随になっても1年以上生きたと思います。
そういえば、きゃこちゃんはぷーちゃんが亡くなって、その次に来た猫なんです。
ぷーちゃんのそういうところを引き継がなくてもいいんだけどな。
でも、ぷーちゃんの経験があるから、半身不随でもビビりませんよ。
むしろ、中途半端に動くと困るんですが。
フラフラ動きながらおしっこ垂れ流したり、というのがぷーちゃんの時もありまして。
猫用のおむつがいいものが出ていると思うので、それを利用することになるかな、と思ってます。
うーむ。
しばらく外泊は無理かなぁ。
HOME次のページ ≫
Copyright © のっぷぴ母日記 All Rights Reserved.
Photo by 戦場に猫  Template by katze
忍者ブログ [PR]